Jun 12, 2010

母から娘へのプレゼント

私の育った家は貧しかった。生活費の節約は当然のことであって無駄はほとんどなかった。そんなある日、母から娘へのプレゼントが贈られた。オパールリング誕生石だった。私は感激した。宝石を買って暮らすことができない環境になったのだ。母から娘へのプレゼント、母にも記念に残る事件だった。 "毎月の生活費入れてくれてありがとう"と母が言った。
学生時代、同人誌に陥っていた時があった。友達もコスプレが好きな子もいて、一緒にコミケエでもあった。一度だけコスプレを聞いてみたことがある。確かにゲームのキャラクターだったと思う。自分とは違うキャラクターを演じるのは、意外に楽しいものだ。照れくさかったけど、すごく楽しかったことを覚えている。今では様々なコスプレが。あんなものだと思って、やってみることをおすすめします。
【美の扉】

 ■成長に己の技術重ね合わせ

 日本髪を結った乙女の肖像が、最初に見ることになる作品だ。

 八王子市夢美術館(東京)で開催中の美術展「画家 岸田劉生の軌跡」は、会場入り口の正面に飾られたこの油彩画を鑑賞した上で、中に進む構成になっている。近代日本洋画の巨星、岸田劉生が終生描き続けた長女、麗子(1914〜62年)シリーズの一つ「麗子十六歳之像」だ。

 一連の絵で有名なのは、おかっぱ頭が印象的な「麗子微笑(青果持テル)」(重要文化財)だろう。

 今回は出品されていないが、美術の教科書などでも紹介されているので、目にした人は多いはずだ。7歳のあどけない表情が何とも愛らしい。

 劉生は、4歳から15歳までのまな娘を数多く描いている。本展のこの作品は、15歳(数えで16歳)のときのもの。髪飾りをつけ、華やかな着物姿に、大人になろうとする女性の気品が漂う。娘の成長を喜ぶ親の優しいまなざしを、感じはしないだろうか。

 麗子が、モデルになったのには理由がある。

 25歳のとき、劉生は肺結核と診断され、東京から温暖な気候の神奈川県藤沢市の鵠沼(くげぬま)海岸に転居した。医師から野外での写生は禁じられたため、人物画など室内でできる制作が主になった。麗子は、格好の対象となったわけだ。昭和4年に劉生が38歳で亡くなるまで描き続け、油彩、水彩、デッサンで約80点もの麗子像を残した。

 なぜ、この画題に固執したのか。劉生に詳しい神奈川県立近代美術館の橋秀文(ひでぶみ)専門学芸員は「まな娘は、自分のからだの一部であり、自分自身だった。麗子を描くことで自分の芸術の実験をしていた」とみる。

 つまり、描写の実験だ。

 劉生は、西洋の美術事情も載せた雑誌「白樺」で、ゴッホやセザンヌらの後期印象派の画家を知り、傾倒していく。ドイツ・ルネサンス期の巨匠、デューラーにも熱中。浮世絵のほか、スペイン最高の画家とも称されるゴヤや、ダビンチにものめりこんだ。

 確かに初期の「麗子肖像(麗子五歳之像)」(大正7年)は、デューラーを思わせる写実的なタッチ。「麗子微笑」の謎めいたほほ笑みはダビンチの「モナリザ」を連想させる。ゴヤのようなこわばった表情の作品もある。そう考えながら、この「麗子十六歳之像」を眺めると、縦長の半身像という構図は、浮世絵の特徴と重なってくる。

 麗子が生まれた際、劉生は日記にこう記した。「美しくなれ、丈夫に育て。俺達はきつと御前を生涯愛してやる」(大正3年4月10日)。以後も日記につづり、成長の様子を絵にとどめていった。

 本展には、無名の童女を描いた「村娘之図」も飾られている。その相貌が麗子にどこか似ているのは、わが子に対する強い愛情ゆえのことなのかもしれない。(渋沢和彦)

 ■板画、装丁家でも高評価

 洋画家として偉大な足跡を残した岸田劉生は、油彩画以外の作品も数多く手がけた。武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)(1885〜1976年)や志賀直哉(1883〜1971年)ら白樺派の小説家とも親交を持ち、実篤らの単行本の装丁にも携わった。

 大正初期、日本に滞在していたイギリス人陶芸家、バーナード・リーチ(1887〜1979年)からエッチング(銅版画)の技法を学び、旧約聖書の創世記を題材にし、細密な線で人間の欲望と節制の葛藤を表現した「天地創造」(大正3年)などの銅版画を制作した。木版画が主流の版画界にあって銅版画の先駆的な役割を演じたといえる。

 日本画、水墨画、陶芸にも取り組んだ。八王子市夢美術館の川俣高人(たかひと)学芸員は「劉生にはさまざまな顔がある。版画家、装丁家としても評価が高い」と説明する。

 本展は、笠間日動美術館(茨城県笠間市)の所蔵品で構成。油彩画や素描のほか装丁画や版画など計約100点が展示され、劉生の多彩な作品世界が俯瞰(ふかん)できる内容となっている。

【プロフィル】岸田劉生

 きしだ・りゅうせい 明治24年、東京・銀座生まれ。父は新聞記者で実業家の岸田吟香(ぎんこう)。17歳のころ、有名な絵画塾の白馬会洋画研究所に通い、洋画壇の重鎮・黒田清輝(せいき)(1866〜1924年)に油彩画を学んだ。19歳で文展(現・日展)に初出品し入選。若くしてその豊かな才能を認められた。22歳で結婚、麗子と鶴之助の2児に恵まれた。大正12年、関東大震災で神奈川県藤沢市の自宅が倒壊したため、京都に転居。昭和4年、滞在先の徳山(現・山口県周南市)で尿毒症のため世を去った。麗子像のほかに「道路と土手と塀(切通之写生)」など。

【ガイド】「画家 岸田劉生の軌跡」は5月8日まで、八王子市夢美術館(東京都八王子市八日町8の1ビュータワー八王子2階)。月休。一般500円、学生(小学生以上)・65歳以上250円。(電)042・621・6777。

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