Feb 26, 2011
コールセンターの役割の大きさ
商品を買うときは、この商品をどのように作られているかどうかを確認することがコールセンターの電話番号が記載されているか、されていないかで、商品の品質は変化します。コールセンターの電話番号が記載されている製品は自然と買っても安心することができ、これらの製品に自信があるため、記載していると考えられると思います。個人事業をしている人は外にあるときを考えて、電話代行業者と契約していることが多いです。電話代行を行うにはボイスワプ機能を利用することが前提となります。ボイスワプ機能は、無条件転送と通話中の場合のみ、送信、一定時間後に送信、指定した番号だけが転送、指定番号以外の転送など、さまざまな方法があります。
京都に出かける用事ができた。約束の時刻は14時30分。夜行バスで早朝に到着すれば、ちょっとした旅ができそうだ。京都市内見物よりも電車に乗りたい。そこで手頃な場所を探してみたら、能勢電鉄と妙見ケーブルに乗れそうだと分かった。阪急電鉄も映画『阪急電車』の公開で話題になっている。マルーンカラーの電車で、半日の旅に出かけよう。
【拡大画像:阪急のルーツ・宝塚線で、川西能勢口へ】
●阪急京都線でスタート
今回の京都行きは夜行バスを選んだ。本当は夜行列車で行きたいけれど、夜行快速『ムーンライトながら』は臨時列車になってしまい、今日は走らない。寝台急行銀河も3年前に廃止された。なんとも寂しい限りだ。
仕方なく夜行バスを選んでみたところ、これが快適でびっくり。ちょっと高級タイプの座席を選んだら、座席はパーティションで仕切られた半個室。各座席にモニターが付いて、映画やゲームも楽しめる。もっとも、深く倒れるシートに身体を預けたら、楽しむ間もなく眠ってしまった。新宿発は22時30分、京都四条着は05時45分。降りたところは鴨川のほとり。京都らしい風景に感激し、ツアーバスを見直した。その一方「夜行の旅はバスの時代になってしまったな」という寂しさも……。
まだ眠っている祇園の街を背に、徒歩数分で阪急電鉄の河原町駅に着く。地下駅のコンコースには映画『阪急電車』のポスターがあった。原作は『図書館戦争』の有川浩さん。ライトノベルで活躍される一方で『フリーター、家を買う』などヒューマンな作品も書かれている。実は私も小説『阪急電車』を買ったけど、映画化されると知って読まずにとっておいた。私は「観てから読む派」。そして今回は「乗ってから観る派」である。
阪急電車の特徴は「阪急マルーン」と呼ばれる車体色。チョコレート色と例えられることも多いが、マルーンとはマロン、つまり栗の皮の色に由来するという。客室は木目調で座席はグリーン。そして日よけはカーテンやスクリーンではなく、鉄の鎧戸になっている。これを見ると、阪急に乗ってるな、と思う。たぶん沿線に住む人は、この内装に故郷を感じたりするんじゃないかな。
●阪急京都線は京阪電鉄が作った!?
阪急京都線は河原町から3つ目の西院までが地下区間。そこから地上に出て南西へ。嵐山線が分岐する桂駅から南下し、淀川の西側で東海道本線や東海道新幹線と並行する。淀川の向こうには京阪電鉄が走っており、阪急、JR西日本(在来線)、JR東海(新幹線)、京阪の4社が競いあう形となっている。
関東は中央と衛星都市という構図だから、放射状に鉄道が発達して、領域を分けあっている。一方、関西は京都・大阪・神戸と大都市が直列している。だから官営鉄道と民間鉄道、そして民間鉄道同士が競争し、スピードとサービスを競ってきた。その歴史と背景は複雑だが、とくに阪急京都線の場合は、京阪電鉄が建設したところが興味深い。大阪-神戸間の阪神電鉄に対して、阪急が直線ルートの新線を作って競争を仕掛けた。
これを見た京阪は、同じことが京都−大阪間で再現されてはたまらないと、自ら京阪本線に対する新線として新京阪電鉄を作った。ところがその後、戦時合併で阪急は京阪を統合する。そして戦後に京阪が分離独立したとき、新京阪線は阪急側に残された。これが現在の阪急京都本線だ。
そんな経緯があるから、阪急の中でも京都線は神戸線や宝塚線と区別されている。例えば京都線は車両の規格がちょっと違って、同じ車両型式でも京都線用は300番代が付いている。神戸線や宝塚線系統が7000系で、京都線系統は7300系、9000系に対して9300系などだ。そして、梅田 - 十三間は神戸線、宝塚線、京都線の複線がズラリと並んで壮観だけど、京都線だけは中間駅の中津駅がない。
●新幹線と併走、緩急接続……阪急京都線の面白さ
京都線の歴史にはもう1つエピソードがある。東海道新幹線と阪急京都線は、大山崎 - 水無瀬 - 上牧間で並んでいる。実は、新幹線を作るとき、京都線も新幹線と並んで高架化した。当時、新幹線は開業前で京都線は営業中。高架化工事で京都線を停めるわけにはいかない。そこで、先にできた新幹線の線路で京都線を走らせた。つまり、東海道新幹線で最初にお客を乗せた電車は阪急京都線の電車だった。
列車種別の多さも京都線の楽しいところ。京阪本線に対する直線新線という経緯があったからスピード重視。各駅停車の他に、準急・快速・快速急行・通勤特急・特急・快速特急と6種類も通過列車があって、さらに大阪市営地下鉄堺筋線へ直通する種別まである。ちなみに各駅停車しか停まらない駅から梅田へ行くなら、乗換案内サービスでは「そのまま各駅停車に乗ったほうが早い」と出ても、実際はいったん地下鉄直通準急に乗り換えて淡路まで行き、そこから特急や快速特急に乗り継いだほうが早い場合もある。時刻表や停車駅案内図を眺めて、こんな乗り継ぎを考えるだけでワクワクする。
●梅田大ターミナルから宝塚線へ
阪急の中で京都線は異端児。これに対して元から阪急線だった神戸線と宝塚線をまとめて神宝線というそうだ。でも、十三 - 梅田間を見ると、そんな区別なんかどうでもよくて、3複線の壮大な場面に感動する。毛利元就の「3本の矢の教え」のごとく、この区間こそが阪急の礎。けっして崩れない阪急王国の証だ。梅田駅では各路線が3つの線路を割り当てられる。ヨーロッパ風の行き止まり式ホームに、最大で9本の電車が並ぶ。ここに立つだけでうっとりしちゃう。この風景をじっくり眺めたい人のために、梅田駅には建物の両端の2階に喫茶店を作ってくれている。しかし残念ながら、今回は時間がなくて寄り道できなかった。もっとも今日の私は、阪急電車の旅そのものが寄り道だったっけ。
次の電車は宝塚線。先に出る電車は箕面駅行きの準急だ。とりあえずこれに乗ったけど、箕面駅は宝塚線ではなく、石橋駅から分岐する箕面線の終点だ。そこで石橋駅で降り、あとから来る急行に乗り換えた。ちなみに箕面線は阪急電鉄のルーツ。1907年に梅田と宝塚、石橋と箕面を結んだ箕面有馬電気軌道を開業した。その創業者の1人が小林一三氏で、この会社を発展させて阪急東宝グループへと育てていった。
石橋から乗った電車を2つ隣の駅、川西能勢口駅で降りる。ここが能勢電鉄の起点だ。でも乗り換える前にホームで電車を観察。平日の朝の時間帯だけ、能勢電鉄から宝塚線に乗り入れて梅田へ直通する特急「日生エクスプレス」が走っている。能勢電鉄の日生中央駅付近は大規模なニュータウンで、そこからの通勤客のために走らせる列車だ。朝のラッシュ時に上り列車だけ、夕方のラッシュ時に下り列車だけ走る。能勢電鉄は最大8両編成に対応しているけれど、宝塚線のラッシュ時間帯は10両で運行する。だから、川西能勢口駅で2両を増結する。この風景も珍しいから眺めておきたい。
●マルーンな能勢電鉄で妙見口へ
能勢電鉄の電車は阪急電鉄と同じマルーン色。阪急電鉄から譲渡された車両を使っていることもあり、外観だけだと阪急の路線に見える。実際に阪急電鉄の子会社でもある。ただし、側面と前面窓ガラスに能勢電鉄のマークがついている。
能勢電鉄の創業は宝塚線開業直後の1908年。日蓮宗の関西総本山である能勢妙見宮への参詣鉄道として作られた。また、能勢地域の特産品を輸送する貨物鉄道としても活躍したという。能勢地域の特産品には、有名なソフトドリンクがある。三ツ矢サイダーだ。三ツ矢サイダーは沿線の平野鉱泉から作られていた。能勢電鉄の収入の半分がサイダーの輸送料金だったそうだ。
現在の能勢電鉄は、妙見山参詣輸送より住宅開発による通勤路線の色合いが強い。とくに前出の日生エクスプレスは、日本生命と阪急電鉄が開発した大ニュータウンで、そこへのアクセス路線として山下駅から日生中央駅までの日生線を作ったほどだ。川西能勢口から乗った電車が日生中央行きだったので、そのまま日生中央駅に寄ってみた。駅前広場から見渡したところ、戸建て分譲住宅地が中心の高級住宅街といった雰囲気だった。
その風景は能勢電鉄の本流、妙見線も変わらない。しかしこちらは歴史のある路線らしく川に沿い、線路は川のそばの低いところを通っている。駅名に「光風台」「ときわ台」とイメージの良い字が当てられ、「台」とつくように、住宅街は高いところにある。そのせいか、車窓から住宅街は見えにくく、線路のそばには自然が多く残っている。通勤時間帯の逆向きだから、乗客に通勤通学客は少ない。小さなリュックを持ったお年寄りが多い。賑やかだな、と思ったら、終点の妙見口駅にはもっと大勢のお年寄りが集合していた。ハイキングのイベントのようで、隊列を組んで坂道を登っていった。
●ケーブルカーと長いリフトで妙見参り
道中に面白いポイントがいくつかあって、ようやく目的地の妙見山に近づいた。妙見口駅から妙見ケーブルの駅までは徒歩。休日ならバスがあるのだが、今日は平日だからなし。長くて緩やかな上り坂を超えていく。ゆっくり歩いて20分ほど。初夏の気候が良いせいか、苦にはならない。むしろ楽しい。このあたりはニュータウンではなく、里山の風景だ。山と田畑と小さな水路。途中で石灯籠の「常夜燈」もあって、妙見参りの歴史を感じさせる。
妙見ケーブルの下の駅は黒川という。そこから見上げると、かなりの急勾配である。線路延長は600m。高低差は229m。最急勾配は23度。鉄道の表し方だと424パーミルである。斜面を横切るように線路が敷かれていて、左手の景色がいい。もっとも、平日の朝の乗客は私と老夫婦の2組だけ。ほぼ貸切で全方位を見渡せる。
線路脇の木は桜で、春には桜のトンネルができるという。谷間は能勢の里山で、かつては炭焼きが盛んに行われたところ。クヌギを使った「能勢菊炭」は、切り口に放射状の美しい割れ目ができるという。京都の茶席などで使われるそうだが、現在は1軒しか残っていないらしい。
ケーブル山上駅からリフトへの道は急な上り坂。どうしてもう少し線路を延ばしてくれなかったか……。帰りは下りだと自分を励まして上っていく。リフト乗り場付近は広場があって、休憩所や「妙見の水」を汲む場所がある。
実はここに鉄道ファンのお楽しみ「シグナス森林鉄道」があって、今日の楽しみのひとつだった。ところが平日運休でがっかり。いつか休日に再訪しよう。休日といえば、妙見口駅付近に個人運営の庭園鉄道もあるそうだ。
妙見リフトは600mで、高低差は88m。距離はケーブルカーと同じだが、速度は約半分なので所要時間が長い。ここも桜やアジサイ、コスモスが植えられて、それぞれの花の季節は大勢の観光客が訪れるそうだ。今日は花こそ少ないけれど新緑たっぷり。酸素のシャワーをたっぷり浴びた。暖かな日差し、吹き抜ける風が心地よい。早起きだったこともあって、居眠りしそうになった。イスではなく、ハンモックを吊して5往復くらいさせてくれないかな。
●妙見山眞如寺と能勢頼次
リフトの終点から徒歩数分で妙見山の鳥居をくぐる。妙見山眞如寺は日蓮宗のお寺だが鳥居がある。これは歴史のあるお寺に見られる神仏習合のかたちで、仏様も"渡来の神様"として祭ったことによる。明治政府が1868年に神仏分離令を出したため、妙見山は寺院として再定義されたという。
●モミジの新緑もまたよし
妙見山を開いた人は戦国武将の能勢頼次。能勢家は足利将軍家に仕えたため織田信長と対立、本能寺の変では明智側について豊臣秀吉に敗れた。能勢家は逃れ逃れて日蓮宗の寺に身を寄せた。そこで徳川家康に召し抱えられ、関ヶ原の戦いで活躍した。能勢家は徳川によって再興を果たす。能勢頼次はこれを日蓮の教えの賜物と考えて信仰を深め、妙見山と屋敷を身延山の日乾上人に寄進した。日乾上人はその期待に応えて能勢の地で教えを説いたという。
妙見山眞如寺の本殿は他の名刹に比べれば控えめな佇まい。境内もドラマのセットのようにこぢんまりとしている。能勢頼次は身の丈に合った規模を心得ていたのだろうか。いかにも武士が開いた寺という雰囲気で好ましい。妙見山の経緯を知ると武運のご利益がありそうだ。妙の字が美を表すことから、花柳界や芸能界からの信仰も厚く、江戸本所に妙見大菩薩の御分体を祭って勝海舟の信仰を得たという。
妙見山は長い歴史を繋ぐ一方で、新しい信仰の形も具現化した。1998年に建てられた信徒会館は星をイメージしたガラス張りの礼拝塔。寺院の概念を刷新する姿だ。信徒会館という名前ではあるけれど、信徒でなくても入館できる。内部にはガラスの床のホールがあって、西欧風の衣装をまとったガンダーラ様式の仏像が4つ浮かんでいた。信徒会館の外側が展望台になっていた。晴れて空気が澄んでいれば、関西空港や淡路島も見えるという。残念ながら今日は霞んでいた。
帰り道、深緑のトンネルでふと見上げれば、黄緑色の若葉はすべてモミジだった。この若葉も美しいけれど、紅葉シーズンはさぞや見事な色になるだろう。シグナス森林鉄道と庭園鉄道も心残りだし、いつか秋の休日に訪れたい。【杉山淳一, 誠Style】
●今回の電車賃
阪急電鉄 「能勢妙見・里山ぐるっとパス」 1300円
→阪急電鉄全線、能勢電鉄全線、妙見ケーブル、妙見リフトに乗り放題。
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